37歳・専業主婦・縁結び
『山修山学林』という修行をご存知ですか?
熊本県熊野川町で、有名な自然道の修行の場となっています。
立石光正行者の『山修山学林』は、世界中から多数の自然道を志す人々が訪れ、年々世間の注目を集めています。
今回は、和歌山県熊野川町で立石光正行者の『山修山学林』に参加した体験談をご紹介します。
遠距離恋愛を乗り越えられず、大好きな彼と別れてしまった
当時私は、アメリカでイタリア人の男性とお付き合いしていました。
私と彼の出会いは、お互い現地にある企業で、契約社員として雇われていたことをキッカケに知り合いました。
渡米後、すぐに意気投合しお付き合いを始めた私たち。
休みの日は一緒にご飯を食べたり、2人でアメリカ国内を旅行したり、楽しい日々を過ごしていました。
しかし、お互いの任期が終わる頃、私は日本に、彼はイタリアに帰ることになったのです。
私は、彼との遠距離恋愛を目の前にして、とても不安になりました。
それから日本に帰国した後、私は新しい仕事や生活に追われ、一気に忙しくなりました。
同じように、彼はイタリアからイギリスに引っ越し、落ち着かない日々を過ごしているようでした。
その上、時差があってなかなか話すことができなかったり、必要なときに支え合うことができなかったりと、小さなストレスが募ってしまっていたのです。
たまに電話で話しても、自然と喧嘩になることが増えていました。
喧嘩をしても、その都度きちんと仲直りもできないままどんどん溝は深まり、ある日彼から別れを告げられてしまったのです。
「嫌いになったわけではないけれど、このまま遠距離で関係を続けるのは無理だ」
彼にそう言われ、酷く悲しかったものの、私も同じように感じてしまう部分があったため、どうすることもできませんでした。
そんなとき、私はたまたま家族旅行で和歌山県の熊野を訪れることになりました。
知り合いに紹介された、熊野川町で修行を続けている行者さんの修行場で、数日過ごさせていただきました。
私はこのとき、修行場で過ごしたことをキッカケに、どん底の人生が明るいものになるとは思いもよりませんでした。
山修山学林に参加して、私は前向きな気持ちになっていた
数日お世話になることになった修行場は、公共の機関では行くことができず、東京から車で約11時間かけて向かいました。
修行場はかなりの山奥に位置していましたが、そこでは様々な体験をさせていただきました。
その修行場こそが、山修山学林というものでした。
自然に囲まれた山道を歩いたり、皆で畑で採れた野菜を食べたり、都会では考えられない貴重な生活を送ることができたのです。
また、朝のお勤めで那智の滝まで歩いたときのことは、今でも忘れられません。
修行と言っても、辛く厳しいものではなく、自分の人生や今後の生き方について、色々考えられる良い機会になりました。
「物事は流れに逆らわず、川に流れる葉っぱのように流れに身を任せて行けば良いのだ」
そんな考えがふと思い浮かび、とても穏やかな気持ちで過ごすことができました。
立石光正行者という方が、この山修山学林の創設者です。
総本山金峯山寺で修行をされていて、護摩木を焚いて祈祷もしてくれました。
私も早速、祈祷をお願いしました。
イタリア人の彼との復縁を願ったわけではありませんが、
「これからの人生が、自分と彼にとって幸せな方向に進んで行きますように」
ということを祈りました。
そのときの私は、お互いあるべき場所で幸せだと感じられる人生を送っていけたら良いと思えていたのです。
彼と別れた悲しい気持ちよりも、今後について前向きな気持ちになれていたことに驚きました。
今は、自分のためにできることを一生懸命やろうと決心した瞬間でした。
立石光正行者の祈祷が叶えてくれた!元カレとの復縁
熊野川町で山修山学林を体験してから数カ月が経った頃、私のヨーロッパ行きが決まったのです。
元々海外で生活することは好きでしたので、また新しい地で過ごせることにワクワクしていました。
イタリア人の元カレとは、極たまに短いメールのやり取りをしていたので、ヨーロッパへの引っ越しが決まったことをメールで報告したのです。
すると、引っ越しが迫ったある日、彼から思いがけない連絡がきました。
「イギリスでの仕事をたった今辞めました。私も同じ国に引っ越すので一緒に暮らして下さい。それが自分にとっての幸せです」
私はそのメールを読み、元カレが半年以上も私のことを想っていてくれたことに驚きが隠せませんでした。
私が熊野で願ったことは、
「2人の人生が幸せな方向に向かって行きますように」
ということでしたので、それが効果を発揮してくれたのかと思わずにはいられませんでした。
それから12年が経った今、私はイタリア人の彼と幸せに暮らしています。
私が立石光正行者の祈祷でお祈りをしたとき、熊野古道がユネスコの世界遺産に選ばれたことを覚えています。
確かに、熊野三山・熊野の山・古道一体には、何かとても不思議な力があるように感じました。
道のりは便利ではありませんが、その分俗世の邪気などに邪魔されず、心をゆっくり浄化させることができると聞きました
熊野の自然を目の当たりにすると、その言葉の意味が納得できます。
私は今でも、人生で行き詰まりを感じてしまったときは、立石光正行者の元を訪れています。
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